東京に戻る飛行機が離陸したあたりで、身内に訃報が届いていたらしい。
GWの帰省中に祖母が緊急手術となり、それ自体は命に関わるものではなかったけれど、東京に戻るのを数日遅らせた。そして、医者の言葉を聞くことにした。まず、聞く価値という意味で、想定以上の重みがあった。手術箇所の経過については良好で、ただし、手術そのものがダメージになっている、という翌朝の話も。
だから、羽田から帰る電車の中で訃報をもらったとき、一応は心の準備ができてたと思う。どう死んだのか聞けないままになっている数件と比べると、大きな違いだ。でもこれが心の何を準備してたかというと、よく分からない。いつも葬式ではいちばん泣いていそうな自分が今回はほとんど泣かなかった。なのに、はっきりと分かるほど、ダメージを受けて、弱っている。知るべきことを知ることで、傷を深める準備をしてしまったのかもしれない。そういう意味でも、想定以上の重みがあった。
おそらく俺は当事者になろうとしたのだと思う。当事者であるというのは(少なくとも俺にとって)こういうことかもしれないし、たかが数日の影響ならまたちょっと違うのかもしれない。さらには、そんなこと全然関係無く、もうちょっと手前から予め弱っていただけかもしれない。何にせよ、弱っております、はい。
ところで、同日に亡くなったイアン・ハッキングが何故か祖母に顔ちょっと似てて、せっかくなので(?)今年の後半からちょっと読んでみようかなという気分になっている。前世で『The Emergence of Probability』を読んだ記憶があるから、この辺りからかなあ。原著だとKindleあるけど、邦訳も値段一緒だ。そして図書館に無い。んー、どうしようかな。
弱っていてパワー不足の中、最近はNext.jsのApp Routerのドキュメントをちょびちょび読んでいる。恩恵を受ける予定は無いけど、体感目的で移行したいなあ。でも急がなくてもいいか。